第5回 「河鍋暁斎」とコンドルの言葉

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第5回 「河鍋暁斎」とコンドルの言葉

 日本が生んだ偉大で異色の日本画家である河鍋暁斎について、ジョサイア・コンドルは「河鍋暁斎」(山口静一訳、岩波文庫、2006)を著しました。コンドルは近代建築の父といわれていますが、彼は暁斎の弟子でもありました。下記はこの書を読んだ感想と私なりの解釈です。

当時の幕府は暁斎を指導的な御用絵師にとりたてようとしましたが、自己を宮仕えに隷属させることになることから、暁斎はこれを拒絶しました。また、暁斎は代表的狩野派画家たちと交流しましたが、暁斎はその独善的画論を忠実に守っていくことはできませんでした。暁斎は、独創に欠けるが故に独創を排し往昔の狩野派巨匠の作を単に模倣する以外なすところのない狩野派の低落した実力を密かに軽蔑していたのです。やがて彼は狩野派と絶縁し、またそれによって、専ら伝統的画派のみを偏愛する上流人士や官界有力者からの引き立てからも疎遠になっていきました。さらに暁斎は無知な役人や家臣の指図で筆を曲げたり画道上の識見や鑑定を悪用されることを常に拒否しました。

暁斎の絵画に対する当時の批評家にとって、構図の見事な美しい絵画を作ることよりも、歴史的に矛盾がないか否かの方がはるかに重要な関心事だったようです。コンドルは「これでは独創的な画家は同じ日本人から常に批難を浴びてせっかくの意気を阻喪する。」と記しています。

加えてコンドルは次の二つの極め付けのエピソードを披露しています。

[その1] 暁斎が自作の絵画を標準より高額の値段で博覧会に出品するとある審査官から苦言を呈されました。これに対し暁斎は「この作品は長年の研鑚修行の成果であり、この値段はそのごく一部に過ぎない。」と反論しました。結果的にそのとおりの値段で売れました。以後暁斎はこうした審査官の指導のもとに絵画展が開かれる限り出品を謝絶したとのことです。
このエピソードは、自身の仕事に対し正当な対価を主張するのは苦手な人が多いようですが(特に日本人は?)、その仕事が人まねでない限り、このような主張をした方が独創的な仕事をしようとする後進を勇気づけることを意味しています。

[その2] 暁斎の隠居後の作品は雄渾かつ独創的な構想力に溢れ、それ以前の自身の作品を凌駕しました。隠居後も「画人としての技倆はいまだ最終的完成の域には達していない」と絶えず口にしていたそうです。
このエピソードは、独創的な仕事の未完成度は自身のみが知っていることを意味しています。人まねであれば、自身の仕事が未完成でも残りは先達がやるだろうから適当な域で終ってもかまわないのでしょう。

本書を読むと、画家の活動も科学技術と通じるところが少なくないことに気づきます。科学技術でも人まねをしていたのでは発展しません。逆風に耐え、独創を貫く必要があるということを強く感じました。