第11回 和田秀樹氏の言葉と「ガリレイの生涯」

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和田秀樹、「学者は平気でウソをつく」(新潮新書654、新潮社、2016)の題名はかなり過激のように思えます。しかしこの本にある「ウソ」とは「学問に関して後でそれを覆すような新たな発見があると、それまでの学者はウソをついてきたことになる。」という趣旨ですので、特に過激ではないようです。

加えて著者は「学問の進歩というのは、多くは仮説にすぎず 、最先端の学者が研究した最先端の理論や実験結果であっても、盲目的に信頼するのは危険。」、「どんな学説もいずれ更新される。」、「あらゆる学問において大切なのは、新しい仮説を生み出すこと。それこそが学問の本来の姿。」、「学者の仕事とは、本来、既存の理論を覆す、あるいは発展させるために研究するもの。」などと記しています。

これらはいずれも尤もな主張で、ベルトレヒト・ブレヒト (岩淵達治訳)、「ガリレイの生涯」(岩波文庫 赤439-2、岩波書店、1979)の中のガリレイの言葉、「科学における貧困の最大の理由は、大抵は豊かだと思い込むためだ。科学の目的は、無限の英知への扉を開くことではなく、無限の誤謬にひとつの終止符を打っていくことだ。」を連想します。

さらに上記の和田氏は我が国と欧米の学問体系を比べて、「日本では、既存の理論を証明することを目的としている人たちが多い。証明する人が偉いことになっている。」、「欧米の学問体系では、仮説を証明することより、新たな仮説を立てることのほうが評価される。」と批評し、さらに「学問を絶対視したがる人たちは、新しい仮説に対してとても用心深く、また誰かが学説やスタンスを変えた場合には、それだけで「変節漢」呼ばわりする。とりわけ日本では、考え方が変わることを認めない傾向が強い。」と指摘しています。

これらの意見は上記のガリレイの言葉の前半部、「科学における貧困の最大の理由は、大抵は豊かだと思い込むためだ。」に共通しますが、現代の科学技術にもまだまだ未開の荒野が大きく広がっています。たとえ「変節漢」呼ばわりされても気にすることなく未開の荒野を開拓したいものですね。

さらにもう一つ、和田氏の意見で、「とくにアメリカでは、教授というのは、これから本格的に研究に取り組もうという若い人たちに与えられるポストで、いわばスタートライン。それに対して、日本の大学教授という地位は、過去の業績に対して与えられる功労賞のようなもの。」というのがありましたが、これも尤もな指摘です。未開の荒野を切り開き新たな学問を構築することのできる心身共に若々しい教授が次々と現れることを願います。