第13回 外山滋比古氏の言葉

第13回 外山滋比古氏の言葉ヘッデイング

 

外山滋比古氏は英語教育が専門の文系の人ですが、氏の著書、「知的生活習慣」(ちくま新書1104、筑摩書房、2015)に書かれている内容は科学技術及びそれに従事する理系の人にも共通することが多くあります。

たとえば、「年をとった先輩をみると進歩をとめてしまって、つまらぬ人事などにウツツをぬかしたりしかねない。かつては気鋭の研究者、学者といわれたような人が、凡々というよりむしろつまらぬ人間になったりする。」とありますが、独創的な研究をするのは気力・体力が必要で、年とともにそれが衰えると別の仕事をしがちになる、という事情は理系の研究者、学者にもあてはまります。気力・体力を持続し、長く独創研究を続けたいものです。

また書籍を執筆・公表することに関して、外山氏のまわりには「外国の本から、失敬してきた知識をこねまわしたようなことを書いている。」人がいることを指摘したうえで、「自分の頭で考えた、自己責任のとれるものを書きたい。」と願っています。

私が「忘れえぬ言葉の第8回「私の同僚だったある米国人研究者の言葉」で記したように、研究者・教育者は十年先を見据えた思想をもち、論文では表現できなかった著者の哲学を語る必要があり、それには本を書く必要があるのですが、その本は外山氏の指摘のように「自分の頭で考えた、自己責任のとれる」内容を扱っていなければなりません。「失敬してきた知識をこねまわした」ような本の執筆は論外です。

さらに外山氏はこの知識について、「内田百閒の『何でも知っているバカがいる』、菊池寛の『学術的基礎を持ったバカほど始末の悪いものはない』という、やや過激な言葉を引用した後、「ただ知識が多いというだけで喜ぶのは幼稚である。ある種の知識は、新しい文化を創造するに当たってときに有害である。」と指摘しています。これは理系においても共通で、外山氏が紹介しているカシオの名誉会長、樫尾敏雄氏の言葉、「考えることと勉強することは違う。発明に勉強は障害になる。知識と思考は別である。」とも整合します。その上で外山氏は「知識は、もともと、そんなにありがたいものではない、いくら知識が多くても、充実した人生を生きる事ができるという保証はない。」と指摘していますが、これは知識よりも知恵が大切、よく考えることが大切、そのための自分自身の価値基準を確立することが大切、ということに他なりません。