第14回 M.ファラディとJ.C.マクスウェルの言葉

第14回 M.ファラディとJ.C.マクスウェルの言葉ヘッデイング

 

小山慶太、「光と電磁気」、ブルーバックスB1982 (講談社、2016)はM. ファラディとJ.C.マクスウェルの評伝です。二人は各々実験家、理論家として電磁気学を中心に19世紀の物理学を牽引し発展させた著名な学者です。この書に解説されている(以下の「 」付きの文)二人の考え方・生き方、言葉が下記のように心に残りました。

(1)まず年長のM.ファラディから:

ファラディが英国王立協会の会長就任要請を辞退したときの言葉「ただのマイケル・ファラディ(plain Michael Faraday)でいたい」を引用し、「ややもすると栄達を遂げた人間が執着しがちな世俗の欲から距離を置いた高潔な人柄と清貧の思想を端的にかつ凝縮して表している」、「科学上の業績だけで、自分に愛する評価は百代の後まで伝えられるという自負があった証かもしれない」と評しています。「ただのマイケル・ファラディ」という言葉は貧しい鍛冶職人の家に生まれ、努力を重ねて研究者となり、独創的な研究を行ったファラディの心情をよく表していますね。また科学上の業績に対して年金を支給されることになった際、「ファラディは科学研究とは純粋に知的好奇心にもとづく個人的な営みであり、金銭的な報酬に直結するものではないと考えていた」ことから科学上の業績が年金支給の理由となることには抵抗があったようです。さらに、彼の名声をたよった民間企業などから多くの委託仕事が舞い込み、一時はそれらを引き受けていましたが、結局「蓄財よりも学問を選択し、副収入は1838年以降はほぼゼロになった」とのこと。ファラディには、「アンダーソンという、すばらしい”黒衣“」としての助手がいたものの、「ファラディは一人で研究を行い、一人で論文を発表する孤高の科学者であった」ということが上記の考え方・生き方の根拠だと思います。

(2)次に年少のJ.C.マクスウェルについて:

上記(1)の「孤高の科学者」についてはマクスウェルも同様の行動をしています。「ロンドンのキングス・カレッジの教授として講義や学生指導のため、研究に十分な時間を避けない苛立ちを抱き、静かな環境で雑事に煩わされず、研究に専念したいという思いが募ってきた」ので、自身の故郷グレンレアーに戻ってしまい、以後はその屋敷が研究場所となったそうです。この状況は、請われてキャベンディッシュ研究所の初代所長に就任するまで続いたそうです。マクスウェルはファラディとは対照的に大地主という有産階級に属し研究資金や場も自前で調達できたので、公的な職業をなげうっても生活には困らなかったのでしょう。現代社会では殆ど不可能な、恵まれた境遇ですね。「科学の神髄である独創性とは、究極のところ、個人の知的営みに行き着く」ことから、「他の科学者の意見を聞いたり、助言を受けたりして議論を交わすことはあったとしても、最後は一人きりの環境に沈潜し、深い思索を継続」することが独創的な研究には不可欠で、「自ら進んで孤独になろうとする意志の強さが、科学者には必要。」だと指摘しています。「ここでいう孤独とはlonelinessではなくsolitude(孤高)」と解釈すべきで、「グレンレアー時代のマクスウェルは、まさにそうした孤高の人」だったといえるでしょう。

(3)最後に二人まとめて:

上記のキャベンディッシュ研究所の名前のゆかりとなった科学者キャベンディッシュはその性格的な原因により孤高というより隠者的人生を送りましたが、ファラディ、マクスウェルは違います。しかし「科学に対峙する時は、隠者の如く、孤高の姿勢を守り抜いたのである。真の独創性とは、自らをそういう状況に追い込める強さの中で発揮されるものなのであろう。」と評されています。

 

以上から考えるに、独創的な研究をするには孤高の境遇に身をおき、一人で深く・長く思考しそれを実証するといった個人的な営みが必要であることがわかります。更に、そのような営みのためには蓄財や肩書きなどの世俗の欲とは距離をおいたほうがよいということでしょう。ファラディとマクスウェルの活躍した19世紀では「科学とはディレッタント的な色彩の強い営みであった」そうですが、現代・未来社会でも孤高の境遇に身をおき、世俗の欲と距離をおいて科学の研究をしたいものです。