第16回 中谷宇吉郎の言葉

第16回 中谷宇吉郎の言葉ヘッデイング

樋口敬二編、「中谷宇吉郎随筆集」(岩波文庫31-124-1、岩波書店、東京、1988)を20年ぶりに再読しました。巻末の「解説」によると、「自らの研究を通じて科学というものを理解させ、人を科学研究の道に導いたところに、宇吉郎が開拓した新しい文筆の世界がある。」とのことです。確かに中谷宇吉郎の研究の体験にもとづく、深い言葉が至るところにあることを再発見しました。
特に「自然がその奥深く秘めた神秘への人間の憧憬の心が科学の心である。現代の科学はあまりにもその最も悪い一面のみが抽出されている。われわれの次の時代の科学はもっとその本来の姿のものであってほしい。」は心に残りました。この言葉は終戦直後の昭和20年10月に発せられたものであることが驚きです。それから90年以上経った現代、科学は「本来の姿」のものになっているでしょうか?
もう一つの心に残った言葉は本書の後半にあり、「むやみと最近の物理の尖端の問題、量子力学や原子論の結果を引用した論文もちょっと始末が悪い。これらの理論は目新しくて、また非常に高遠に見えるので、余りよくは分からないが結論だけは間違いないだろうから、その結論の上に立って自分の議論を進めようという気持ちのようにも思われる。もしそれだったら科学というものの意味が本当に分かっていないのではないかと危ぶまれる。」です。
これは上記よりも更に古く、戦前の昭和12年12月というのだから更に驚きです。現在は量子力学などの科学が出現しすでに一世紀近く経ちますが、これらの科学は依然として高遠です。残念ながらこれをむやみに振り回している論文も散見されます。
このことに関連し、中谷宇吉郎は、「科学は実際は米かパンのようなもので毎日食べていて栄養の取れるもの。科学というものは整理された常識なのである。」と主張し、さらにこのような素性の科学を「文化の向上に役立たせるにはどうしたら良いか。」と自問しています。それに対する回答として「科学の既知の知識と、科学的の考え方との正常な普及をはかること」を挙げ、最後にこの両者を間違いなく伝える4つの方法を提案しています。いずれも実施するには容易ではありませんが、その中で実施可能性が高い方法は
「ある自然現象について
(1)如何なる疑問を起こし
(2)如何にしてその疑問を学問的の言葉に翻訳し
(3)それをどういう方法で探求していったか
(4)そして現在どういう点までが明らかになり
(5)どういう点が益々不思議となってのこっているか
ということを、筋だけちゃんと説明する。」
ことだそうです。ただし「その際やたら難しい言葉を使うことは厳禁」と釘をさし、「要するに知らぬことを聞くというだけの満足を読者に与えれば十分」と指摘しています。
ドレスト光子を「文化の向上に役立たせる」ために、この方法に沿って「既知の知識と、それに関する科学的の考え方との正常な普及」を図ってみましょうか。